フジファブリックの「赤黄色の金木犀」はなぜあんなに泣けるのか

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音楽

井戸の中から失礼します。こんばんは、トードだよ!

今日は、

 

「フジファブリックの“赤黄色の金木犀”はなぜあんなに泣けるんだろう」

 

っていうことについて書いてきます。
ほんとに良いよね、「赤黄色の金木犀」。


赤黄色の金木犀

フジファブリックとの出会い

まずはここから書かねばなるまい…。

おれとフジファブリックとの出会い。それは近所のツタヤだった。

 

いや、実は正直覚えてない
でも当時CDをレンタルするのは大体ツタヤだったから、おれとフジファブリックとの出会いはツタヤだったはず。

 

「CD買えよ!!!

 

なんて思う人の気持ちはものすごくわかる。おれもそう思うもん
でもやっぱり、知らない人たちのCDをいきなり買うっていうのはなかなかにハードルが高いんよなあ

それこそおれが金持ちだったらいくらでも買うけどさ。家じゅうCDだらけにするけどさ。
実際は飲むお酒も安いウイスキーしか買えないレベルの貧乏人だからなあ、、、

ブラックニッカクリアしか飲んでないからなあ、、、

 

そんなこんなで、おれがフジファブリックと初めて出会ったのは近所のツタヤのレンタルCD邦楽コーナーだったわけ。今となれば感謝しかないよ、ありがとうツタヤ

ちなみにそのとき借りたのは

 

これ。シングルベストみたいなやつね。

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フジファブリック「赤黄色の金木犀」の好きなところ

そんでな、なんでおれがこんなにフジファブリックの「赤黄色の金木犀」が好きなのかってことなんだけど

3つ理由があるの。
それが「メロディライン」「志村さんの歌」「歌詞」なんだけどね、うん。
一つずつ書いてくわ。

 

「赤黄色の金木犀」のメロディライン

「赤黄色の金木犀」を聞くと、まずイントロで1回死ぬ。
とにかく1回聞いてみてくれ…

 

 

…聴いた?聴いた???
なんなのこのイントロ。きれいすぎるよ

ギターのピーーーー↑↑ヨーーーーン↓↓でトドメ刺される

 

この曲さ、赤黄色の金木犀ってタイトルからもわかるかもだけど、秋の曲なのね。

普通な、メロディだけでここまで秋感だせる???
もうこの時点ですごすぎる。語彙力なくなるわほんと、すごい。すごいすき

 

そんでな、この「赤黄色の金木犀」のすごいところはまだあってな
最初はしっとり始まって、ああ、秋だな…ってなるんだけど

 

サビ前にドラムが急に激しくなるのよ。

 

そのあとのサビも激しくて、普通の曲なら「盛り上がるぜ!!!ヒャッハー!!!」って感じなんだけどさ、
赤黄色の金木犀の場合は歌詞も相まって、逆に寂しさとか儚さを感じるの。

ここがホントにすごい。盛り上がりつつも儚い、寂しい、もどかしい
さっきも言ったようにこれはメロディのせいだけじゃないんだけどさあ、それでもやっぱりすごいよね

もしも音楽にあんまり興味がないって人におすすめの曲を教えるとしたら、間違いなくおれは「赤黄色の金木犀」って答える。それくらい情緒に溢れてて、心に来る

 

フジファブリックのボーカル志村さんの歌

フジファブリックの志村さんは、決して歌が上手いとは言えないボーカルだと思う。
技術的な意味ではね

でも技術ではどうにもならない部分、感情を揺さぶるっていったら少しくさいけど、
そういうところが志村さんの歌はすごいのよ

 

技術的に歌が上手い人もいるし、おれもそういう人の歌好き
でもそういう技術的に上手い人の歌は、理性を保ったままで聞けることがほとんどなのよな。

でも志村さんの歌は、なんでかわからないけど力が抜けて泣きそうになっちゃう。
きれいだなあって

 

「赤黄色の金木犀」はサビもだけどCメロのところとか凄い激しくて、そのせいもあってかライブの音源とか聞くと正直音程合ってないんだけどさ、なぜか泣きそうになっちゃうんだよね。

 

「赤黄色の金木犀」を聴けば、歌は技術的な部分以外も凄い重要だってわかると思うよ

ああうまく説明できないなあ。わかってもらえるかな、、、

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「赤黄色の金木犀」の歌詞

最後に歌詞ね。
赤黄色の金木犀の歌詞が狂おしいほど好き。好きだ!!!

まずはAメロのこれ

 

もしも過ぎ去りしあなたに
全て伝えられるのならば
それは叶えられないとしても
心の中準備をしていた

(※フジファブリック/志村正彦)

 

この時点でもうすでに切ない。
絶対全て伝えらんないんだよね、わかる

 

この歌詞を見るといろんな場面がイメージできるけど、やっぱり多くの人が思い浮かべるのは恋人かなあ。おれの場合は違うけどね。

でも、伝えられないことをずっと心の中にしまっていることは自分とものすごく重なる。
今もずっと心の中にしまってる

 

冷夏が続いたせいか今年は
なんだか時が進むのが早い

(※フジファブリック/志村正彦)

 

「冷夏が続いた」ていうフレーズだけでこの曲の情景描写が大体わかるのすごい。
志村さんの頭の中を覗いてみたい。おじゃまします

普通「冷夏」なんて歌詞思いつかないと思うんだけど。
しかもそれが感情描写にもなってるっていうことがすごすぎる。

冷夏なんて単語、ニュースの中でしか聞いたことないよ…

 

曲の中では、夏っぽくない夏が終わりに近づいて、実感がない間にだんだんと秋のにおいがしてきてるんだね。
そしてサビへ

 

僕は残りの月にすること
決めて歩くスピードを上げた

赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなって
なぜか無駄に胸が騒いでしまう帰り道

(※フジファブリック/志村正彦)

 

ここ。ここでさっきのメロディのとこで話した内容が出てくるんだけどもさ。
「歩くスピードを上げた」のところから、サビの「赤黄色の金木犀の~」にかけてドラムがめちゃくちゃ激しくなるのよね

ここで激しくなることによって、サビの悲しい不安な感じがさらに際立ってるのよ

 

心の中のモヤモヤがなくならなくて歩くスピードを上げる
どんどんどんどん上げていく

その時どこからか金木犀の香りがしてきて、もっとたまらなくなって
不安になる明確な理由もないのに、なぜか胸が騒いでしまう

 

この焦っているような不安な気持ちが、曲調が激しくなることによって際立つ

 

ここからCメロ前の間奏にはいって、曲の中でも少し時間が流れる(とおれは思ってる)

そしてCメロ

 

期待はずれなほど感傷的にはなりきれず
目を閉じる度にあの日の言葉が消えていく

(※フジファブリック/志村正彦)

 

この歌詞がね、おれの心にはおもっきり刺さった。

いやね、最初に聴いたときには「なんじゃこの歌詞わけわからん」って感じだった
でもあることを経験してからは、この歌詞が心に突き刺さるようになったの

 

察してる人もいるかもだけど、おれがこんなに「赤黄色の金木犀」を好きなのは、昔の記憶と重なるからっていうのもあるのよね

実は、今日はこの思い出話を書くために記事書いてるんだわ(笑)。

 

だからこのあとは、おれが金木犀の香りをかぐ度に「赤黄色の金木犀」を思い出す理由を書いてこうと思う。めちゃめちゃ日記的な感じだから、おヒマな人だけ読んでくれれば。

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フジファブリックの「赤黄色の金木犀」を聞くと思い出すこと

フジファブリックと出会ったこのとき、おれは働いてなかった。
とはいっても完全にニートってわけではなくて、病気の母親の介護のために家にずっといたの

 

この時は母親の病気がわかってすぐで、同時におれが大学受験に失敗して浪人を始めた頃だった。つまり自宅で母親の介護をしつつ、浪人として受験勉強もする毎日だったのね

そんでおれの母親の病気はいわゆる難病で、漫画とか映画でよくある”現代の医療じゃ治せない病気”だったわけ。これフィクションじゃないよ。厨二病の痛い創作じゃないからね

昔は右腕に包帯ぐるぐる巻いて「邪王炎殺黒龍波」の練習とかしてたけど、違うから

 

そんな生活が半年くらい続いたある日、当時訪問診療に来てくれてたお医者さんに「新薬を試せるかもしれない」っていうことを教えてもらった。なんでも治験っていう名目で、隔週で1週間ずつ入院して経過を観察させることを条件に新薬を投与できるらしい

うちの母親的には新しい薬を試せるし、これから同じ病気で苦しむ人たちの助けになれるって考えもあって、二つ返事で治験を受けることにした

病気がどんどん進行してきて、死の恐怖をすぐそばに感じたのもあると思う。

 

それから数週間後、治験のために入院と退院を繰り返す日々が始まった
場所は自宅から車で30分くらいの場所にある大学病院。

毎回おれが助手席に母親を乗せて連れてった。歩くのも難しいくらい病気が進行してたから、車に乗せるだけでも大変だった。

 

入院中は毎日病院へ行って、朝から晩まで病室でそばにいた。

母親のごはんとトイレとお風呂の介助をする。ときどき車椅子に乗せて外に散歩に出かけたりもしたなあ

退院して在宅介護してるときも、毎日毎日ごはんとかトイレとかお風呂とか、ほぼ全ての行動を介助しながらの生活。寝てるときも苦しいとか背中が痒いとかで呼ばれるから、少しのうめき声、物音でも目が覚めるくらい神経研ぎ澄ましてて、寝不足続きだった。

 

治験を受ける生活にも慣れた頃には、もう母親は自分で立つことも難しくなってて、移動はもっぱら車椅子。一人でなにかをするなんて不可能だった

 

そんな生活を繰り返していると、否が応でも頭がおかしくなってくるの。
これは介護を経験したことがないとわからないかもしれないけど、毎日まいにち良くなることがない絶望と向きあってると、なんていうんだろ、全てを終わらせたくなってくるのよ

 

毎日毎日、母親はできないことが増えていく
それは走れなくなるとかジャンプできなくなるとかそういう次元じゃなくて

立てなくなる、歩けなくなる、腕が上がらなくなる、話すのが難しくなる、ご飯が飲み込めなくなる。息ができなくなる。

そういう、普通の人が生きていくときに意識せずにできることができなくなってしまう

本人も周りも頑張ったところで良くなることもないし、逆にだんだん酷くなっていく
治療できない病気ほど残酷なものはないよ、本当に

 

この“絶望”と毎日向き合っていると、本人じゃなくても頭がおかしくなってくるわけよ
もちろん病気と闘ってる母親が一番つらいんだけどさ。

 

そんな感じで、治験を始める前に比べて肉体的にも精神的にも追い込まれていた母親とおれ。それでも治験は続くし、唯一の希望はその治験だったから、めげずに頑張って病院へ向かう

ちなみに、正直この治験はあまり意味がなかった。もしこの治験を受けてなかったらもっと速く病気は進行してたのかもしれないけど、少なくとも当事者のおれと母親にはこの薬に救われたっていう実感はない。

 

精神も病みつつあったおれは、いつしか「どうやったら母親を楽にさせることができるか」ってことを考えるようになった。治療法もない今では、言わずもがな方法は一つしかないんだけど。

 

毎日毎日考えた。病室で母親と一緒にテレビを見てるときも、家に帰って一人でご飯を食べてるときも、寝る前も。毎日毎日同じことを考えてた。

 

そんなある日、毎日病院に通ってて受験勉強にも飽きていたおれは、病院の近くにあるツタヤに行くことにした。ほかの店舗に比べて少し大きめで、中にカフェが併設してあるようなところ。
今思えばツタヤ大好きだなおれ…。

 

母親にご飯を食べさせて、トイレに連れて行って、身体がかゆくならないようにパジャマの背中側のシワを伸ばして、母親の好きなテレビ番組を全て視聴予約して、ナースコールを手に握らせて、病室を出た。

 

「たまには贅沢しよう」と思って買ったヘッドホンでBUMPの曲を聞きながら、ツタヤまでの道を歩く。

 

病院の前にある広い駐車場を抜けると、大きい交差点へ出る。
その交差点にかかっている、複雑な形をした歩道橋がおれは好きだった。

普通の歩道橋なら階段になっているところが、その歩道橋はゆるやかな坂道になってた。たぶん車椅子でも登れるようにって作られたんだと思う

 

歩道橋を使って大きな交差点を渡り終え、目的地のツタヤについた。
新刊の漫画を探したり、新しい小説を探したりする。あとは化学の参考書も。

母親と一緒に見るために、面白そうな海外ドラマも探した。

当時、家では普段テレビしか娯楽がない母親のために、いろいろとDVDをレンタルしていたのよ。あのときにNetflixとかHuluがあれば、母親ももっと楽しく過ごせてたかもな、と今になって思う。

ツタヤの中を色々探したけど結局おれが面白いと思えそうなドラマはなかったから、結局母親が好きな韓国ドラマを借りた。

 

レンタルしたDVDと新刊の漫画を手に持って、病院に向かって、来た道を戻る。
行きはBUMPを聴いてきたから、帰りはフジファブリックを聴いて帰ろう。そう思ってスマホを取り出す。行きとは少し風向きが変わっているのを、右頬に感じた。

 

ヘッドホンに志村さんの声が流れる。
ランダム再生で流れてきた1曲目は「茜色の夕日」だった。

と同時に、心配と不安がふと頭に浮かぶ。
1時間くらいしか経ってないから大丈夫。そう思いながらも、心臓がきゅっとなった。

 

テレビが消えてたらどうしよう、のどが渇いてたらどうしよう、パジャマのシワのせいで背中がかゆくなってたらどうしよう。息が出来なくなっていたらどうしよう。手に持たせたナースコールを上手く押せずにいたらどうしよう。

 

大丈夫だろうけど、どうしても不安は消えてくれない。
でも同時に、「おれがいないところで全部終わっていたらいいな」とも思った

 

不安と期待を感じながら歩いていると、おれの好きな歩道橋までたどり着いた。
もう病院についてしまう

ゆるやかな傾斜の坂道を上っている途中、ヘッドホンから大好きなイントロが流れてきた。心地よいメロディに少し歩くスピードがゆるむ

 

「志村さんは歌うまいわけじゃないけど、うまいよなあ」

 

そんなことを考えながら歩道橋を上った
浮かんでいる道を、下を走る車たちを視界の端っこに映しながら歩く。

 

赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなって
何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道

(※フジファブリック/志村正彦)

 

ふと病院の方を見た瞬間に、「赤黄色の金木犀」のサビが流れた。

確かにいま胸が騒いでる。

すごく心配だけど、本当は帰りたくない。でも帰りを待ってる。
おれにしか頼ることができない人が待ってる。

今すぐにでも全部やめたいけど、母親のことを思うとやめることなんてできない。
病院前の駐車場に自分の車があるし、このまま病室に戻らないまま家に帰ってしまうこともできる。でもそんなことはできない。おれを待ってる

 

「ここまで今の状況にピッタリの曲が流れる?(笑)」

なんて少し笑いそうになりながら、歩道橋の坂を少しはや足で下っていく。

 

歩道橋の下り坂を下りきったところで、どこからか金木犀の香りがした。

 

周りを見回してみると、病院の駐車場のとなりにある公園に、大きな金木犀の木があった。

 

泣きそうになりながら、笑ってしまった。

 

病室につくと、テレビを見ていた母親がおれの方を向いて微笑む。
愛されていること、そしておれが母親を愛していることがわかった。

 

 

 

 

 

数ヶ月後、母親が死んだ。
病気が進行して、まったく身体が動かせなくなって、呼吸もできなくなって、死んだ。

その日は入院している母親のそばに一日中いて、全く寝ずにいたから、朝方兄ちゃんと付き添いを交換して。
そんで国道の大きい道路を車で走って家に帰ろうとしてるときに、電話が鳴った。

 

「おかあが死んじゃった」

 

兄ちゃんの声だった。いつもとおんなじ声。
おれもいつもとおんなじ声で「わかった」ってつぶやいて、Uターンして病院へ向かう。
不思議となにも感じなかった。

 

期待はずれなほど感傷的にはなりきれず
目を閉じるたびにあの日の言葉が消えていく

(※フジファブリック/志村正彦)

 

赤黄色の金木犀のCメロを、運転しながら思い出した。
あの日胸に突き刺さったこの曲は、今日もおれの胸に突き刺さってくる。

見慣れたベッドの上には、もうここにはいない母親が寝ていた。

 

 

 

最後の別れの日。

母親の顔を見れる最後の日。

棺桶に花束をいれた。それと母親が生きてるときに誕生日プレゼントって言って渡した、おれが描いた似顔絵も。

そして母親とは、もう二度と会えなくなってしまった。

 

 

 

母親が死んでから数か月。死んだってことはわかってるはずなんだけど、未だに実感がまったく湧かない。不思議なくらい死んだ感じがしない。

 

母親が死んだら、一体どれほど悲しいんだろう。こんなにずっと一緒にいる人がいなくなったら、一体どれほど悲しいんだろう。

ずっとそう考えてたのに、期待はずれなほど感傷的にはなれなかった。
今でも、元気だったころの母親がなんにもなかったような顔で会いに来てくれる気がしてる。

 

でももう会えないんだよな。

 

もしも過ぎ去りしあなたに
全て伝えられるのならば
それは叶えられないとしても
心の中準備をしていた

(※フジファブリック/志村正彦)

 

もう一度会えたら、伝えたいことがたくさんある。

 

 

母親と一緒に過ごしたアパートを出て、心機一転違うところに引っ越した。
っていっても同じ市内だけど

 

 

新しいアパートの横には大家さんの家が建ってて、不動産を持ってるだけあるな~ってくらい庭が広い。塀に囲まれてるその庭には、色んな種類の木が植わってる。

おれの部屋は2階だから帰るときはいつも階段を上がっていくんだけど、秋になって気づいた。

 

階段のすぐ横、大家さんちの庭のはしっこに、金木犀の木がある。

 

毎年、秋になると母親と二人で過ごした毎日を思い出す。
楽しかったことも、つらかったことも、全部

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フジファブリックの「赤黄色の金木犀」はなぜあんなに泣けるのか

これはもう分かりきってる。

 

志村さんがすげえからだ

 

これ以外にないから。
議論すべきは、どこがすごいのかっていうところだよね

 

結論から言うと、この「赤黄色の金木犀」の歌詞は“どんな思い出にもあてはまる”ってことが理由だと思う。
赤黄色の金木犀に限ったことではないけどね。良い曲良い作品は大体こう

 

当たり前だけど、赤黄色の金木犀を書いているとき、志村さんはおれの思い出のシチュエーションを想像して書いたワケがないw

でもこの日のおれにはものすごく心に来たんだよね。それがすごいの

上でおれが書いた内容は、やっぱりちょっと特殊だと思う
でもそれにもしっくりくる「赤黄色の金木犀」はすごいんだよ。

 

なんで死んでしまったんだろう、志村さん。
いまのフジファブリックが嫌いなわけではないけど、やっぱりおれは志村さんの曲と歌詞と歌が好きだった。

 

なんで、素晴らしい人ほど早く死んでしまうのだろう

 

 

今日も「赤黄色の金木犀」を聴いてから寝ます、おやすみ。トードでした


赤黄色の金木犀